スークの経済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 02:09 UTC 版)
「アル=マディーナ・スーク」の記事における「スークの経済」の解説
ペルシャの硫黄を中国で売りたいものだあそこでは硫黄は高値で売れるのだから中国では名陶を求めてビザンツへ運ぼうビザンツからはインドへの織物を仕入れインドでは鋼鉄を買ってアレッポへ運びアレッポからは令名高い鏡をイエメンへそこでは布地を仕入れてペルシャに帰る --ペルシャの詩人・旅行家のサアディーの著作『薔薇園』(1258年)の詩 伝統的なスークの商品の値段は交渉にもとづいて決まり、一物一価とは異なる。近年では定価方式に切り替わったと語る商人も多いが、一物一価とは異なる「おおよその定価」としての値段が用いられることも多い。スークの中には、特定の商品を売る店が特定の区画に集中している。布地のスーク、金銀細工のスークの区画などがあり、区画に行けば値段の相場や質の情報が手に入る。下調べをせず不正確な情報で買おうとすると高価なものを買わされる可能性がある。同じ商品の店が集まることで、他の店が不釣り合いな高値で売ることを防いでいる。 メディーネのスークは元来は卸売商が多かった。20世紀の中頃からはハーンでも商店が営業するようになり、卸売商が多く小売はサイド・ビジネス的な規模で行う。国外の商品を仕入れる場合には、ワキールがエージェントとして仲介する場合が多い。 売り上げに大きな影響がある時期は、ハッジ(メッカ巡礼)である。年に1度のハッジによってメッカを目指す巡礼者が多数おり、スークに立ち寄った者が買い物をしてゆく。
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