スーク・エル・クラーナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/31 05:56 UTC 版)
「チュニス旧市街のスーク」の記事における「スーク・エル・クラーナ」の解説
西暦15世紀、スペイン・ポルトガルから追放されたイスラム教徒およびユダヤ教徒のヒジュラが始まった。特にアンダルシアの者の多くは、北アフリカのチュニジア、モロッコ、アルジェリア、そしてリビアに定住した。一部はイタリアにとどまり、そこではフェルナンド2世大公が経済・商業活動を可能にした。同公の死とともに、そのほとんどがチュニスに移動し、チュニスの小路に住んでスーク・エル・クラーナで商業活動に従事した。農業製品や動物、伝統工芸品の輸出をしていた。扱われた伝統工芸品の例としては、シャシーヤ、サハラ由来の材料、ダチョウの脂肪、象牙、衣蛾、鉱石、金などがあげられる。また、最高級品、工業製品、絹、綿、砂糖やスパイスなども扱っていた。
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