スーク・エル・ベルカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/08 13:16 UTC 版)
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スーク・エル・ベルカはチュニス旧市街のメディナのスークの一つである。宝飾品の交易に特化している。
歴史
同スークはサブサハラアフリカの奴隷売買を目的として、1612年にユースフ・デイによって建てられた。ヨーロッパ出身の奴隷はより貴重であるとみなされ、富裕層のみが買い手であったため、同スークではなく個人で売買がなされた。1846年のアフマド・イブン・ムスタファによる奴隷制の廃止後、同スークは宝飾品スークと成り代わった。
場所
このスークは国会があるカスバ、ダール・エル・ベイ、またその他のスーク(スーク・エル・ベイ、スーク・シャワシーン、スーク・エッレッファなど)の近くに位置している。スーク・トルークと垂直に交わる。
建築
4つの通りに囲まれている同スークは、四角形になっていて、3つの通路が2つの小路によって分けられている。初期は奴隷が披露される演壇が中心にあり(これがベルカという名の始まりである)、奴隷売買に備えられていた。中心はドームと、いくつかの丸天井で覆われていた。
脚注
外部リンク
- (French) Presentation of the souk (Municipality of Tunis)
- (French) Virtual visit of Souk El Berka
スーク・エル・ベルカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/31 05:56 UTC 版)
「チュニス旧市街のスーク」の記事における「スーク・エル・ベルカ」の解説
ベン・アビ・ディナールの『ムウニス』によれば、このスークはスーク・エル・ベイの延長とされ、西暦17世紀に当たるヒジュラ暦11世により認識されている。奴隷貿易に特化していたがチュニジアにおいて1846年より奴隷制が廃止された。現在は宝飾品や金・貴金属の売買が行われている。
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