スペイン軍の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 01:01 UTC 版)
「ハバナの戦い (1762年)」の記事における「スペイン軍の準備」の解説
七年戦争に参戦しようとしたスペイン王カルロス3世は宣戦布告の前にスペインの植民地をイギリス海軍から守るための準備をした。彼はフアン・デ・プラド(英語版)をキューバの守備の総指揮官に任命し、デ・プラドは1761年2月にハバナに入って要塞を強化した。 1761年6月、グティエレ・デ・エビア(英語版)率いる戦列艦7隻が2個歩兵連隊の増援(エスパーニャとアラゴン、約1,000人)とともにハバナに到着したが、黄熱が流行して、包囲戦のときには兵士3,850人、海員5,000人、民兵2,800人に目減りしていた。 ハバナは当時、西インド諸島において最良の港であった。その入り口は幅が180メートルで長さが800メートルと広く、港内に戦列艦を100隻停泊させることは簡単だった。またハバナには1等艦を建造できる造船所もあった。 ハバナの入り口は強固な要塞2つにより守られていた。北側のカヴァノス山にあるのはモロ城(英語版)で砲台64門があり、700人が駐留していた。南側はサン・サルバドル・デ・ラ・プンタ城(英語版)があり、また両城の間には防材があった。ハバナ自体は南側にあり、周りに長さ5キロメートルの城壁があった。
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