スペイン統治下のフィリピン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 16:24 UTC 版)
「バスク系フィリピン人」の記事における「スペイン統治下のフィリピン」の解説
1521年にはフェルディナンド・マゼランのスペイン艦隊がフィリピン諸島を「発見」したが、マゼラン艦隊の航海にはバスク地方出身者が多額の資金を支出している。ギプスコア地方出身のフアン・セバスティアン・エルカーノをはじめとして、マゼラン艦隊に乗り込んだ船員の大半は、歴史的に航海術に長けるバスク人だった。艦長のマゼラン自身はヨーロッパに戻ることなく死去しており、史上初の世界周航を達成したのはエルカーノだった。 1565年にはアンドレス・デ・ウルダネータ(史上2番目の世界周航者)とミゲル・ロペス・デ・レガスピを中心とするスペイン艦隊がフィリピンに到着したが、彼らは二人ともギプスコア地方出身のバスク人だった。聖職者だったウルダネータは精神的なリーダーであるだけでなく、航海士長でもあった。レガスピは初代フィリピン総督となり、到着後のわずか7年間でフィリピン諸島の大半をキリスト教化させることに成功。1572年にレガスピが死去すると、第2代フィリピン総督にはやはりバスク地方出身のギド・デ・ラベサレス(英語版)が就いている。以後、スペイン人によるフィリピン諸島のキリスト教化や国土開発の最前線には常にバスク人が存在した。スペインの植民地時代に登録されていたスペインやフィリピンの船舶の大半は、バスク人が艦長を務めていた。 先住民の権利確立を提唱したドミンゴ・デ・サラサール(英語版)司教など、フィリピンのカトリック聖職者の多くはバスク人/バスク系だった。以後のフィリピン総督の多くもバスク人であり、20世紀半ばに上院議長を務めたエウロヒオ・ロドリゲス(英語版)が「フィリピン史上最高の統治者」と呼んだシモン・デ・アンダ(英語版)(1770-1776在任)、ルソン島中部のヌエヴァ・ヴィスカヤ州を設置したルイス・ラルディサバル(1838-1841在任)などがいる。シモン・デ・アンダ、ラルディサバル、ホセ・バスコ・イ・バルガス(英語版)(1778-1787在任)、ナルシソ・クラベリア(英語版)(1844-1849在任)などのバスク人統治者はいずれも進歩的な思考の持ち主であり、19世紀のフィリピンで興った、最終的にはフィリピン革命に至る社会的・経済的な発展の前段階に貢献した。 フィリピン総督を務めたバスク人 ミゲル・ロペス・デ・レガスピ(初代, 1565-1572在任) : ギプスコア地方スマラガ出身 ギド・デ・ラベサレス(英語版)(第2代, 1572-1575在任) : ビスカヤ地方出身 ガブリエル・デ・クルセレアギ・イ・アリオラ(英語版)(1684-1689在任) : ビスカヤ地方エルゴイバル出身 ファウスト・クルサット・イ・ゴンゴラ(英語版)(1690-1701在任) : ナバーラ地方出身 ホセ・ラオン(英語版)(1765-1770在任) : ナバーラ地方出身 シモン・デ・アンダ(英語版)(1770-1776在任) : アラバ地方スビハナ(スペイン語版)出身 ホセ・バスコ・イ・バルガス(英語版)(1778-1787在任) ルイス・ラルディサバル(1838-1841在任) マルセリーノ・デ・オラー(英語版)(1841-1843在任) : ナバーラ地方出身 ナルシソ・クラベリア(英語版)(1844-1849在任) フアン・デ・ララ(英語版)(1865-1866在任) : ナバーラ地方出身 ドミンゴ・モリオネス・イ・ムリーリョ(英語版)(1877-1880在任) : ナバーラ地方出身
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