スペイン統治時代からフロリダ州の成立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 22:07 UTC 版)
「ブレバード郡 (フロリダ州)」の記事における「スペイン統治時代からフロリダ州の成立まで」の解説
1513年、フアン・ポンセ・デ・レオンがメルボルン海浜近くの岸に着いたとき、この地域ではアイス族とティムクア族が支配的な部族だった。地域には約1万人のインディアンがいた。 1601年、スペイン国王がフロリダの地図を発注し、マイアミに砦を建設したいという願望を示した。この地図では、ブレバード郡となった地域を「アイスの地方」と表示しており、これは当時特別な部族支配の地域を表し、部族長からその名前を採るのが通常の方法だったからだった 。 後の1605年、セントオーガスティンから「アイスの地方」へ、アルバロ・メヒアがアイス族に対する外交的任務で派遣された。メヒアはアイス族の部族長と「友好期間」を設定し、地域の色刷り地図を作製した。 この地域は蚊に悩まされ、インディアンから攻撃を受ける恐れもあったので、ヨーロッパ人による恒久的な開拓地ができないままになっていた。スペインは間歇的に地域に入って来ていた。1763年、スペイン人が地元民をキューバに移し、ヨーロッパ由来の疫病を生き残ったインディアン80人が残るだけになっていた。この年のパリ条約で、スペインは短期間だが、地域の支配権をイギリスに渡した。北のジョージアや両カロライナにいたクリーク族インディアンがこの間隙を素早く埋めた。これらインディアンはセミノール族と呼ばれるようになった。その活動は間歇的であり、恒久的なものではなかった。 1821年、スペインはフロリダの支配権を再度放棄し、アメリカ合衆国に譲渡した。1837年、インディアン川の東岸、メリットアイランドの細い帯状地にアン砦が設立された。ヘルナンデス・カプロン・トレイルを建設しているとき、ジョセフ・ヘルナンデス将軍とその民兵隊が現在のミムズ近くで宿営した。この開拓地は短命であり、その後まもなく放棄された。
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