ストークBによる世界記録樹立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 03:27 UTC 版)
「人力飛行機」の記事における「ストークBによる世界記録樹立」の解説
次なる世界記録の更新は日本で達成された。卒業研究として人力飛行機の研究を継続していた日本大学で1975年にジュピターを参考にした 新たな人力飛行機、ストークが開発が始まった。ストークはそれまでの日本大学で開発された機体と比べて、大幅な軽量化と空力的な洗練がなされた機体であった。完成したストークは1976年5月には600mを超える飛行を達成した。その後の旋回飛行挑戦においてストークは損傷したが、修復、改良がなされ、1976年11月24日にストークB(以前の機体をストークAと呼ぶ)として再び初飛行に成功した。ストークBは1977年1月2日には日本航空協会公式立会人立会いの下、加藤隆士の搭乗で2093.9m、4分27秒8の飛行に成功当時の世界記録を更新した。パイロットの加藤は滑走路に制限されなければ更に長距離の飛行が出来たと主張した。また、ストークBはストークAが挑み、損傷する結果となった旋回飛行についても挑戦、パフィン2に続く世界で2例目の180°旋回に成功しており、この時点でクレーマー賞獲得の有力候補と考えられていた。中にはストークBがクレーマー賞を獲得できなければ、クレーマー賞は獲得されないだろうという者もいた。 これまでの間、クレーマー・8の字飛行賞は未達成のまま賞金が増額され、懸賞が開始された1959年の5000ポンドから1967年には10000ポンド、1973年には50000ポンドに達した。
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