ジーニーの言語獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 17:46 UTC 版)
「ジーニー (隔離児)」の記事における「ジーニーの言語獲得」の解説
ジーニーは、ふつうの子どもが言語を習得する時期にほとんど話し言葉に触れることができなかった貴重な事例として、世界中の科学者(心理学者や言語学者)の注目の的となった。言語獲得の臨界期仮説を検証する絶好のチャンスと考えられた。言語学科の大学院生だったスーザン・カーティスは1971年6月にジーニーと出会い、彼女が言語を学んでいく過程を記録し、論文として発表して1977年に出版した。しかし、論文のタイトルで、ジーニーのことを「野生児」(Wild Child)と表現したことが母親アイリーンの反感を買ってしまった。 ジーニーは二語文まですぐに話せるようになった。通常の子供の場合、二語文を話せるようになるとそこから一気に上達するようになることが知られているが、ジーニーの場合はそこから先の進歩がなかなかみられなかった。また文章を極端に省略してしまう癖があり、「省略博士」と呼ばれたりもした。過去のことをある程度話せるようになると、ジーニーは監禁されていた頃に父親に棒で殴られていたことなどを語ったりした。 カーティスが「両耳分離聴覚テスト」と呼ばれる検査を行ったところ、ジーニーは言語の刺激に対して右脳が活発に反応した(非言語的な刺激についても右脳の反応が活発だった)。右利きの人であれば言語を処理するのは左脳の場合が大多数である(ジーニーも右利き)が、ジーニーは言語を右脳で主に処理していると考えられる。このことから、臨界期をすぎると左脳で言語処理をすることができず、右脳がその役割に果たすようになる可能性が考えられる。 しかしジーニーは異常な脳波からも発達障害が示唆され、言語獲得理論に関し参考になるかどうか疑われる。こうした点が研究助成金が停止された主な理由である。
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