ジョージアン庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 20:50 UTC 版)
ランスロット・『ケイパビリティ』・ブラウン、1716年 - 1783年は、イギリスの18世紀大御所風景式庭園の設計者。世界遺産にもなっているブレナム宮殿を始め、チャッツワース・ハウス、ハイクレア・カースル、ウォリック城など、ブラウンの設計した庭園。手がけた庭園の数は170超えるイギリスの庭園史に残る造園家である。 ブラウンは、それまでの庭園に盛り込まれた幾何的整形性や、物語性、寓意、神話の世界などを取り込んだ映画性を排除し、イギリス特有の丘陵の地形に滑らかで穏やかな変化を与えた。 1757年、イギリスの作家兼旅行者であるサー・ウィリアム・チェンバースは、中国について3度ほど旅行したが、そのときの旅行記は主に中国の絵、建物、家具、習慣、機械、道具であったが、旅行記中には庭園についての章もあった。 チェンバーズは、ロンドンの南西にあるキューの王立植物園で、中国の塔があるヨーロッパで最初の中国庭園創設者となる。チェンバーズの本とキューガーデンで作庭した中国庭園はイギリスとフランス両方で中国庭園を流行させた。ランドスケープガーデンには、憂鬱から悲しみ、そして喜びまで、感情を呼び起こすように設計された人工の丘、塔、そして遊歩道が付き始めた。
※この「ジョージアン庭園」の解説は、「イギリス式庭園」の解説の一部です。
「ジョージアン庭園」を含む「イギリス式庭園」の記事については、「イギリス式庭園」の概要を参照ください。
- ジョージアン庭園のページへのリンク