ジョージア・マックスコーヒーになった経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 14:57 UTC 版)
「マックスコーヒー」の記事における「ジョージア・マックスコーヒーになった経緯」の解説
1975年(昭和50年)当時、日本コカ・コーラ社は北九州コカ・コーラボトリング(現・コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス)と新たな缶コーヒーブランドである「ジョージア」を開発中であったが、実質的な開発はそのほとんどを北九州社が行っており、日本コカ・コーラ及び米コカ・コーラ社のほうでは、外国人幹部の「こんなもの(缶コーヒー)が売れるわけがない」という意見が多数派を占めていて缶コーヒー市場への参入に否定的であった。そこで利根コカ・コーラボトリングが、子会社である利根ソフトドリンクを通じて独自にマックスコーヒーを開発し、同年6月に発売した。利根コカ・コーラボトリングが日本コカ・コーラと結んでいた基本契約では「コカ・コーラのマーク、車、自動販売機ではコカ・コーラ認定の商品しか扱ってはならない」の一項があり、契約上はかなり不安定なものであったが、この時点では黙認されることになる。 マックスコーヒーの発売と時を同じくして日本コカ・コーラ社より「ジョージア」が発売されるが、利根地域ではマックスコーヒーが既に発売されていたため、全製品をジョージアに切り替えることは事実上不可能であった。そのため茨城県・千葉県ではマックスコーヒー、栃木県ではジョージアを扱うという変則的な販売手法がとられることとなり、1979年(昭和54年)まで続くこととなった。他にも「ドクターペッパー」などの他社ライセンス商品を抱えていた利根コカ・コーラボトリングには、契約更新ができるかの問題が差し迫っていた。 1990年(平成2年)、社長(当時)の茂木克己がこの問題の解決に乗り出し、協議の末、1991年(平成3年)にマックスコーヒーの意匠を一部残した「ジョージア・マックスコーヒー」という新製品として発売することとなった。これによって、マックスコーヒーはジョージアの1ブランドとなり、コカ・コーラボトラー単独としての利根コカ・コーラボトリングの売上は全国17ボトラー中5位に上昇した。
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