ジョン・レイの北西航路探検
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「北西航路」の記事における「ジョン・レイの北西航路探検」の解説
詳細は「ジョン・レイ (探検家)」を参照 フランクリン探検隊および彼に先立つ多くの探検家、そしてマクルアーやベルチャーほかフランクリンの捜索隊は、両方とも当時のイギリスの探検の伝統に基づいていた。豊富な資金、立派な船舶、暖房器具や缶詰など近代技術の活用、そしてイギリス海軍の士官や将官の参加などである。これとは対照的に、医師で探検家のジョン・レイは当時カナダ北方を経営していたハドソン湾会社の社員であった。ハドソン湾会社の探検は実用的な手法を用いた身軽で質素なもので、陸路中心であった。フランクリンやマクルアーらの100人規模の艦隊が豊富な食料を積んで海路を探検していた時期、レイは10人以下の隊員を率いて犬ぞりで陸上や氷上を移動し、地元のイヌイットから習得した極北を生き抜く知恵を使いながら探検をおこなっていた。レイは北極圏を探検していた歳月の間に探検隊の死者を1人に抑えるなど、最も犠牲の少ない探検を達成した。 ブーシア半島やキングウィリアム島を探検した彼は、1854年、北西航路の一部をなすドルフィンアンドユニオン海峡への出口となる水路を発見して帰ってきた。また、探検中にフランクリン隊の遺品やその最期についての情報をイヌイットから得た。
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