ジュデッカ‐とう〔‐タウ〕【ジュデッカ島】
ジュデッカ
ジュデッカ島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/05 14:27 UTC 版)
「ヴェネツィア・ゲットー」の記事における「ジュデッカ島」の解説
ヴェネツィア共和国は10世紀頃から通商の拠点となり、第4回十字軍がコンスタンチノープルを攻略した13世紀以降には地中海において覇権を握った国である。 通商の拠点であるヴェネツィアには、神聖ローマ帝国(ドイツ)のユダヤ人が徐々に移り住むようになった。彼らはヴェネツィア船が東方から運んできた品を買い取り、中西欧に仲介していた。 11世紀末にイタリア半島のユダヤ人共同体を巡ったスペイン・ユダヤ人ベニヤニイモ・ダ・トゥーデラの旅行記にはまだヴェネツィアは注目されていないことから、ユダヤ人のヴェネツィアへの本格的な進出はそれ以降の事に属すると思われる。 13世紀にヴェネツィア政府は、ユダヤ人に対してヴェネツィア潟の島の一つスピナルンガ島(Spinalunga、後にユダヤ人居住区を意味するジュデッカ島という名になった)に住む事を強制した。本土(ヴェネツィア共和国の大陸の領土)のメストレに住む事を強制した時期もある。更にユダヤ人に黄色いバッジと帽子を被る事を義務付けたりもしている。 しかしヴェネツィアのユダヤ人は栄えた。彼らはユダヤ人特別税を払う事でヴェネツィアの財政に大きく貢献している。
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