ジャウト・クリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 13:39 UTC 版)
『モンゴル秘史』によるとキヤトのテムジン(後のチンギス・カン)とケレイトのトオリルの連合勢力は金朝の要請に従ってタタル部を討伐し、その功績によってトオリルは「王=オン[・カン]」の称号を、テムジンは「ジャウト・クリ(Ja'ud Quri)」の称号を与えられたという。 しかしこの「ジャウト・クリ」が何を意味する称号かは『モンゴル秘史』に語られておらず、研究者たちは様々な解釈を行った。現在の所「ジャウト・クリ」の意味としては(1)「ジャウクト(jauqut)=北中国の隊長」を意味するとする説、(2)「百人隊(ja'un)の長」を意味するとする説の2説が知られている。 「ジャウクト」はモンゴル時代の史書にしばしば登場する地名で、『集史』は「ジャウクトはヒタイ(北中国)、タングート(河西)、ジュルジャ(女直)、ソランカ(朝鮮)からなる境域である」と説明しているが、その語源・意味は必ずしも明確ではない。 また、-quliという名称はアラビア語のʿabd/ペルシア語のbanda/モンゴル語のbo'lに相当し、「〜の奴隷,しもべ」を意味する単語である。中国では遼代以後、この単語を意訳した「〜家奴」という名称を持つ人物が多数登場し、例えば「万家奴(Vangianu)」の場合は「万人隊の僕=万人隊長」を意味する名称となる。そのため、「ジャウト」がjauqutの場合は「金朝の僕」を意味する名称となり、ja'unの場合は「百人隊の僕=百家奴」意味する名称となる。『蒙韃備録』には「チンギス・カンは幼い頃金朝に囚われて奴隷となっていた(成吉思少被金人虜為奴婢者、十餘年方逃帰、所以尽知金国事宜)」という記述があるが、これはチンギス・カンが「-quli(〜家奴)」という称号を与えられたことを著者が誤解して記したのであろうと考えられている。
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