ジッド自身のこの作品への言及とは? わかりやすく解説

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ジッド自身のこの作品への言及

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 22:53 UTC 版)

狭き門」の記事における「ジッド自身のこの作品への言及」の解説

1894年10月13日 日記 苦悩可能性熱愛できなかったと思っている魂。『マドモアゼル・クレールの死』 1907年6月22日 日記 この惨めな作品を完全にはじめから書きなおすのはこれで4度目これまで苦しみ苦しんだ作品だ。[中略]だが、1日も終わる頃、全力ふりしぼったおかげで、この形の定かでない塊を動かせたような気がした。 1908年10月17日 ポール・クローデルの手紙 ぼくはこれを書くのに長い年月かけました。(最初に考えついたのは1881年で、題は『正しくこの世を去ることについてのエッセー』とするつもりでした。)この小説アイデアはぼくにこびりついて久しく離れませんでした読んでくだされば、これがたんなる文学的主題扱ったものでないことは、きっと分って頂けるでしょう。[中略]それから、この書物プロテスタンチスムが[カトリックである]あなたをひどく怒らせないように念じてます。 (訳は安井源治論文から) 1908年10月18日 日記 15日には『狭き門』を完成した。 - 16日口髭剃り落とす1913年3月 日記 昨夜狭き門』を50ページ読み返す。この作品読み返すたびに、言葉尽くせない感動覚える。 1914年6月30日 日記抜け穴に関するスーデーの論説とリュシアン・モーリの論説同時に読んだ。[中略]だが私の『狭き門』が批判的な作品ということがすぐに分からなかったとはまった驚き入る1949年 ジャン・アムリューシュ(フランス語版)とのラジオ対談 私は、批判の書を書いたのである中略クローデルは、この書が、プロテスタンチスム批判、つまり、徳をそれ自体のために愛すること批判であることを私に覚らせた。[中略私の問題は、人間の目的は神なのか、人間なのか、ということであった。はじめ私は、人間の目的は神だと考えたそのうち次第問題ずらして人間の目的は人間だと考えようになった。 (訳は岩波文庫川口篤あとがきから)

※この「ジッド自身のこの作品への言及」の解説は、「狭き門」の解説の一部です。
「ジッド自身のこの作品への言及」を含む「狭き門」の記事については、「狭き門」の概要を参照ください。

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