ジッド自身のこの作品への言及
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「狭き門」の記事における「ジッド自身のこの作品への言及」の解説
1894年10月13日 日記 苦悩の可能性。熱愛できなかったと思っている魂。『マドモアゼル・クレールの死』 1907年6月22日 日記 この惨めな作品を完全にはじめから書きなおすのはこれで4度目。これまでに苦しみに苦しんだ作品だ。[中略]だが、1日も終わる頃、全力をふりしぼったおかげで、この形の定かでない塊を動かせたような気がした。 1908年10月17日 ポール・クローデルへの手紙 ぼくはこれを書くのに長い年月をかけました。(最初に考えついたのは1881年で、題は『正しくこの世を去ることについてのエッセー』とするつもりでした。)この小説のアイデアはぼくにこびりついて、久しく離れませんでした。読んでくだされば、これがたんなる文学的主題を扱ったものでないことは、きっと分って頂けるでしょう。[中略]それから、この書物のプロテスタンチスムが[カトリックである]あなたをひどく怒らせないように念じています。 (訳は安井源治の論文から) 1908年10月18日 日記 15日には『狭き門』を完成した。 - 16日、口髭を剃り落とす。 1913年3月 日記 昨夜『狭き門』を50ページ読み返す。この作品を読み返すたびに、言葉に尽くせない感動を覚える。 1914年6月30日 日記 『抜け穴』に関するスーデーの論説とリュシアン・モーリの論説を同時に読んだ。[中略]だが私の『狭き門』が批判的な作品ということがすぐに分からなかったとはまったく驚き入る。 1949年 ジャン・アムリューシュ(フランス語版)とのラジオ対談 私は、批判の書を書いたのである[中略]クローデルは、この書が、プロテスタンチスムの批判、つまり、徳をそれ自体のために愛することの批判であることを私に覚らせた。[中略]私の問題は、人間の目的は神なのか、人間なのか、ということであった。はじめ私は、人間の目的は神だと考えた。そのうち、次第に問題をずらして、人間の目的は人間だと考えるようになった。 (訳は岩波文庫の川口篤のあとがきから)
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