シロキ・ブリイェグとは? わかりやすく解説

シロキ・ブリイェグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:56 UTC 版)

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シロキ・ブリイェグ
Široki Brijeg
Široki Brijeg
Широки Бријег

町のシンボルである、フランシスコ会教会
基礎自治体 基礎自治体
位置

ボスニア・ヘルツェゴビナでのシロキ・ブリイェグの位置
座標 : 北緯43度22分 東経17度35分 / 北緯43.367度 東経17.583度 / 43.367; 17.583
行政
ボスニア・ヘルツェゴビナ
 構成体  ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦
  西ヘルツェゴビナ県
 基礎自治体 シロキ・ブリイェグ
市長 Miro Kraljević
HDZ BiH
地理
面積  
  基礎自治体 388 km2
人口
人口 (2007年現在)
  基礎自治体 26,198人
  備考 推計
その他
等時帯 CET (UTC+1)
夏時間 CEST (UTC+2)
市外局番 39
公式ウェブサイト : sirokibrijeg.ba

シロキ・ブリイェグボスニア語:Široki Brijegクロアチア語:Široki Brijegセルビア語:Широки Бријег)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、同国の南西部に位置している。同国を構成する2つの構成体のうち、ボシュニャク人クロアチア人を主体としたボスニア・ヘルツェゴビナ連邦に属し、西ヘルツェゴビナ県の県都である。1945年から1990年までは公称としてリシュティツァLištica / Лиштица)が用いられた。

地理

自治体の人口は約3万人、都市部は約1万人が暮らしている。面積は1168ヘクタールで、リシュティツァ川が流れる。町の中心部は海抜270メートルほどで、低ヘルツェゴビナと呼ばれる地域である。その他の大部分は特徴的なカルスト地形を持つ高ヘルツェゴビナと呼ばれる地域であり、町の北方に位置している。

モスタルまで20から25キロメートルほど、メジュゴリエまでアドリア海沿岸を抜けて88キロメートルほどの位置にあり、モスタルからスプリトを結ぶ幹線道路が走る。

歴史

第二次世界大戦中はイタリア軍の援助を受けたウスタシャの統治下に置かれ、イタリア軍によって要塞が築かれた。1945年パルチザンが町を占領しリシュティツァと改名された。

終戦後、ヘルツェゴビナの中でも最も西に位置するこの地域は、ユーゴスラビア中央政府から親ウスタシュ、親ファシズム地域と見做され冷遇された。そのため多くの住民がザグレブダルマチアに移住し、ドイツガストアルバイターへ流れた。

住民構成

1991年の国勢調査によると人口は27,160人であり、民族別の内訳は以下の通りであった:

都市部人口は5,039人で、クロアチア人が98.8%を占めている。

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