サンタンデール県発足後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 10:26 UTC 版)
「サンタンデール (スペイン)」の記事における「サンタンデール県発足後」の解説
19世紀には都市の規模が拡大し、小麦貿易が盛んになって鉄道が建設された。1833年スペイン地方行政区分再編でサンタンデール県(スペイン語版)が設置されると、サンタンデールはサンタンデール県の県都となった。1861年にはスペイン女王イサベル2世が避暑でサルディネーロ海岸を訪れたため、サンタンデール市議会はイサベル2世に別荘としてアルフォンシーナ邸を贈呈した。19世紀のサンタンデール港は「スペインのリバプール」と言われるほどの繁栄を極めていたが、1893年には貨物船のカボ・マチチャーコ(スペイン語版)が港湾内で爆発炎上して500人以上が犠牲となる事故が起こった。 1900年代初頭、アルフォンソ13世は夏季をサンタンデールで過ごすことを好んだ。アルフォンソ13世は王家の別荘として、1912年にはマグダレーナ半島にマグダレーナ宮殿を建設した。このためにサンタンデールはスペイン国民にとって人気の観光地となり、ヴィクトリア朝期には海水浴も盛んになった。現在もスペインの海水浴リゾートとしての人気を保持している。 1932年には公立のサンタンデール国際夏期大学(現・メネンデス・ペラヨ国際大学)が設立された。1941年2月15日・16日にはサンタンデール大火(スペイン語版)が起こり、サンタンデール大聖堂を含む旧市街の大半、14ヘクタールが焼失した。死者は消防士1人だったが、115人が負傷し、数千人が住居を失った。スペイン内戦の終結からわずか数年後のことだったため、都市の再建には長い時間がかかった。
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