サンスクリット語による記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/27 01:41 UTC 版)
「マヒシュマティ」の記事における「サンスクリット語による記述」の解説
サンスクリットの叙事詩『ラーマーヤナ』ではマヒシュマティにおけるラークシャサ(英語版)の王ラーヴァナの攻撃について言及される。『アヌシャサナ・パルヴァ(英語版)』ではイクシュヴァーク家のダシャシヴァが王だと述べられ、続いてハイハヤ(英語版)の王カルタヴィリャ・アルジュナ(英語版)が地上の全てを首都のマヒシュマティから支配すると述べる (13:52)。カルタヴィリャ・アルジュナはバルガヴァ・ラーマ(英語版)により殺される。 『マハーバーラタ』ではマヒシュマティはアヴァンティ国と対立する王国の一部として言及される。『サバ・パルヴァ(英語版)』 (2:30) ではパーンダヴァのサハデーヴァがマヒシュマティを攻め、支配していたニラを破ったと述べられる。マヒシュマティの王ニラはクルクシェートラの戦い(英語版)において指導者を務めたとされ、ビーシュマによってラティ (Rathi) と賞されたとも言及される。ニラの鎧の衣には青色が用いられていた (Mbh 5:19,167)。 『ハリヴァムシャ(英語版)』 (33.1847) ではマヒシュマティを築いた人物をマヒシュマントと呼称される。この王はサハジャの息子で、ハイハヤを継承するヤドゥの子孫であるとされる。また、別の箇所ではラーマの祖先であるムチュクンダが開いたとされ、そこではこの人物がラクシャー山にマヒシュマティとプリカの都市を築いたと述べられる。 『ラグ・ヴァンシャ』ではマヒシュマティはレヴァ川(ナルマダー川)にあり、アヌパ王国の首都であったと述べられる。 『パドマ・プラーナ(英語版)』 (VI.115) によれば、マヒシャによって築かれたと明言されている。 その他の記述では、カルタヴィリャ・アルジュナがナーガの長のカルコータカよりマヒシュマティを征服し、要塞都市としたとも伝えられる。
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