サンカの発生にまつわる諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 20:48 UTC 版)
「サンカ」の記事における「サンカの発生にまつわる諸説」の解説
古代難民説 サンカ(山人)は、原日本人(あるいは縄文人)であり、ヤマト王権により山間部に追いやられた異民族であるとする説。これは柳田國男の山人論に基くが、柳田はサンカと山人を区別して記述している。また、この山人の起源に関する考察は、南方熊楠に私信において否定され、柳田もそれに積極的には反論していない。つまり、根拠に乏しい仮説であり、現在ではこれを主張する研究者を探すことは難しいが、俗説として広く信じられている。 中世難民説 動乱の続いた室町時代(南北朝、戦国時代)の遊芸民、職能集団を源とする仮説。起源を比較的古くまで求めることが可能な言葉である「三家」、「三界」、「坂の者」などを根拠とする。喜田貞吉の研究が代表的である。語源を探る上で説得力を持つが、江戸時代末期の中国地方の文書にあらわれた「サンカ」との因果を検証することが困難である。 近世難民説 江戸時代末期の飢饉から明治維新の混乱までの間に、山間部に避難した人びとが多数を占めるであろうという考察。サンカに関する記述が、近世末になって、天保の大飢饉が最も苛酷であった中国地方で登場することから、沖浦和光が主張している。 フィクション説 流浪民としてのサンカは三角寛が書いた小説が基であって存在していないとする説。サンカという言葉自体は官憲の文書に存在したり、古文書にも存在しているがいわゆる乞食や被差別民全般を意味する言葉であるとする。 方言説 フィクション説の亜種。中国地方で定住しない貧困層(被差別民)を意味するサンカという方言が明治政府に警察として多数雇われた長州藩の元藩士と共に日本全国に広まったとする説。明治以降サンカという集団が全国に広がったのではなく長州の方言が全国に広がっただけであるとする。
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