サポーターの不満
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 18:48 UTC 版)
「バート・トラウトマン」の記事における「サポーターの不満」の解説
シティのサポーターの中には元ドイツ空軍兵との契約に不満を示す者もいた。シーズンチケット所有者は試合観戦のボイコットを示唆し、マンチェスターを含めたイングランド中の団体がシティに抗議の手紙を送った。さらには、クラブ史に残る偉大なキーパーであるフランク・スウィフト(英語版)を引退に追いやる形となったことも、サポーターの不満に拍車をかけた。 ノルマンディー出身のベテラン選手であるキャプテンのエリック・ウェストウッドは、個人的にトラウトマンとクラブとの契約に疑問を呈したが、公の場ではトラウトマンを歓迎し、「ロッカールームに戦争はない」との声明を出した。11月19日のボルトン・ワンダラーズFC戦でファーストチームデビューし、初のホームゲームで能力を示すと、ファンからの抗議はおさまった。アウェーマッチでは群衆から罵倒を受けることもあり、トラウトマンの集中力に影響を与えた試合もあった。1949年12月のダービー・カウンティFC戦ではアウェーで7失点を許している。 1950年1月のフラムFC戦はトラウトマンが初めて首都ロンドンでプレーした試合だった。ロンドンにはイギリスのマスコミの大半が拠点を置いていたため、この試合は広範なメディアの注目を集めた。一流のスポーツジャーナリストの何人かはこの試合がトラウトマンのプレーを見る初の機会だった。第二次大戦中にドイツ空軍はロンドンにも被害を与えており、ドイツ空軍を憎む群衆は空挺兵であったトラウトマンに「ドイツ野郎」や「ナチ」と叫んだ。シティは1949-50シーズンのリーグ戦で苦しんでおり、シティの大敗とフラムの大勝が予想されたが、トラウトマンは何度も好セーブを見せて、最終的なスコアを0-1の惜敗に食い止めた。試合終了の笛が吹かれると、トラウトマンは観客席からスタンディングオベーションを受け、両チームの選手から称えられた。シティはその後のシーズンも苦しみ、1950年にはセカンドディビジョンに降格した。
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