サウセスク伯爵位に向けた努力
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「デイヴィッド・カーネギー (第4代準男爵)」の記事における「サウセスク伯爵位に向けた努力」の解説
第3代準男爵サー・ジェームズ・カーネギーと妻クリスチャン(Christian、旧姓ドイグ(Doig)、1820年11月4日没、デイヴィッド・ドイグの長女)の長男として、1753年11月22日に生まれた。1765年4月30日に父が死去すると、準男爵位を継承した。この時点で11歳だったため、母や第6代準男爵サー・アレクサンダー・ラムゼイ=アーヴィンが保護者を務めた。1765年から1769年までイートン・カレッジで教育を受けた後、セント・アンドルーズ大学に進学した。1771年12月28日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1774年11月25日にM.A.の学位を修得した。その後、グランドツアーに出た。 父はサウセスク伯爵家旧領の買い戻しを進めていたが、志半ばで死去した。その後、カーネギーの保護者たちはカーネギーの父の領地にかかった債務をピッタロー(Pittarrow)の売却(1767年1月、買い手は叔父ジョージ)で完済した。カーネギーは伯爵家旧領の買い戻しを完了させると、1782年にサウセスク伯爵位の継承を主張して裁判を起こしたが、自身の雇った弁護士からの伯爵位への権利がないとのアドバイスを受けて主張を取り下げた。1791年から1792年にかけて自領のキナード(英語版)を再建した。 1784年1月26日にエディンバラ王立協会フェロー(英語版)に選出された。1797年、アンガス(フォーファーシャー)のヨーマンリー連隊(英語版)の大尉に任命された。1799年11月21日、王立協会フェローに選出された。
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