コール内閣
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「ヴォルフガング・ショイブレ」の記事における「コール内閣」の解説
1984年、第2次ヘルムート・コール内閣に国務大臣兼首相府長官として入閣。1987年、ドイツ民主共和国(東ドイツ)国家評議会議長エーリッヒ・ホーネッカーによる西ドイツ訪問の交渉責任者となった。内閣改造による第3次コール政権の成立に伴い、1989年4月から内相に転じる。1990年の東西ドイツ再統一条約交渉には西ドイツ側代表として参加し、同年8月31日に調印した。 ドイツ再統一直後に行われた連邦議会選挙戦の最中である1990年12月、精神病の男性に背後から銃撃を受け、脊髄に重傷を負う。命は取り留めたものの下半身麻痺となり、以後は車椅子生活を送っている。犯人の男性は責任能力無しとみなされ精神病院に収容されたが、後にこの事件を謝罪し、2004年には仮退院した。この選挙戦では野党ドイツ社会民主党(SPD)の首相候補オスカー・ラフォンテーヌも精神病の女性に刺され、瀕死の重傷を負っている。
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