コンテナ船へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 14:42 UTC 版)
「オットー・ハーン (原子力船)」の記事における「コンテナ船へ」の解説
交換した炉心が燃え尽きる前に2回目の炉心交換が計画されたが、予算不足から断念された。1979年2月、オットー・ハーンは原子力船としての稼働を終了してハンブルクに係留された。係留中には、ハンブルク市の厳重な監視の元、約800tの放射性物質を25名の技術者で3年かけて除去した。 オットー・ハーンは1983年になって、リックマース・レデライに200万ドイツマルク(当時の為替レートで約2億1,000万円)で売却された。売却されたオットー・ハーンは、ブレーマーハーフェンのリックマース・ヴェルフト造船所で原子炉を撤去し、主機を日本の赤阪鐵工所製(三菱重工業ライセンシー)7UEC60HA型ディーゼルエンジン1基(11,340馬力)に換装した。さらに、積載数1,181TEUのコンテナ船に改装され、1983年にプロジェックス社の「トロフィー(Trophy)」として完成した。同年11月にはノラシア・ラインがチャーターして「ノラシア・スーザン(Norasia Susan)」となり、その後さらに「ノラシア・ヘルガ(Norasia Helga)」、「ファ・カン・ヘ(Hua Kang He)」、「アナイス(Anais)」、「タル(Tal)」、「マドレ(Madre)」と改名や船主の変更を繰り返した後、2009年にインドで解体された。 撤去された原子炉圧力容器は放射性廃棄物を格納してゲーシュタハトのGKSSの研究所に保管されているほか、ブレーマーハーフェンのドイツ船舶博物館に煙突が展示されている。
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