コニー・マック監督の大バクチ
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「1929年のメジャーリーグベースボール」の記事における「コニー・マック監督の大バクチ」の解説
ハワード・エームケ(資料によってはハワード・アームキーと表記する資料がある)投手は、タイガースとレッドソックスを経て1926年にアスレチックスに来たが、この年から急速に下降線を辿っていた。そこでコニー・マック監督は後半戦で彼をメンバーから外す決意をして彼に伝えると、エームケは「私の夢はワールドシリーズで投げることです。多分今年が最後です。1回でもいいからワールドシリーズで投げさせて下さい。」と懇願するのであった。そこでマックは「それならばシカゴ・カブスを追跡調査してくれ。カブスの攻守全てを調査して長所短所の全てを探ってくれ。シリーズの相手はカブスだ。」と言うとエームケは大きく頷き、それからはベンチで彼の姿を見なくなった。エームケはカブスの試合を追いかけてカブスの投手や打者のクセ、監督の作戦の傾向などを克明にメモしつづけた。 そして迎えた10月8日ワールドシリーズの第1戦で、マックはエームケを先発させた時に、敵も味方も、スタンドにいたファンも記者も驚きを禁じ得なかった。「何でシーズン最多勝のアーンショーも、最優秀防御率・最多奪三振のグローブではなく、こんなポンコツの投手を大事な第1戦に使うのか」と皆が囁き合った。しかしエームケは綿密に調べてメモしたデータをこの日の投球に駆使し、ホーンスビー、ウイルソン、ステファンソン、カイラーの3割打者が4人いる強豪打線をかわし、息詰まる展開の試合は7回にアスレチックスがジミー・フォックスの本塁打でまず1点を取り、9回表にビル・ミラーの適時打で2点を追加して3-0として、最終回の裏に1点を返されてなおも一死一・二塁のピンチを二者連続三振に切り抜け、奪三振13の新記録をも達成し初めてのワールドシリーズのマウンドで勝利投手となった。このコニー・マックの一世一代の大バクチはワールドシリーズに長く記憶されている。ハワード・エームケはこの翌年に引退した。マックに懇願した時に「私のこの腕にはもう1試合分の余力が残っている」と彼は言ったが、まさに生涯最後の力投だった。そしてアスレチックスはこの1勝で波に乗り、4勝1敗でカブスを下した。
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