ケルトと宗教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 05:09 UTC 版)
当初の宗教は自然崇拝の多神教であり、ドルイドと呼ばれる神官がそれを司っていた。初期のドルイドは、祭祀のみでなく、政治や司法などにも関わっていた。ドルイドの予言の儀式では人身供犠が行われていることを、多くの古典古代の著述家たちが記述している。ドルイドの教義では現世と来世は連続的であるとされ、ケルト人は輪廻転生と霊魂の不滅を信じていた。ポンポニウス・メラやユリウス・カエサルは、ケルト人の戦いにおける勇敢さや人命への軽視とケルト人の死生観を結びつけて考えた。 また、アイルランドには人頭崇拝の風習があった。人の頭部は魂の住処となる神性を帯びた部位であり、独自に存在し得るものと考えた。敵の首級を所有することでその人物の人格や魂を支配できると信じ、戦争で得られた首級は門などの晴れがましい場所に飾られたり、神殿への供物や家宝として扱われた。ケルト芸術には人頭のモチーフが多くみられ、アイルランドではキリスト教改宗後も教会や聖所の装飾に多くの人頭があしらわれている。 ブリテン島では、4世紀にはキリスト教が根づいた。その後、ヴァイキングの侵入やノルマン・コンクエストの影響で、ケルト人キリスト教はしだいに一時衰退した。 アイルランドでは、6世紀末~8世紀初めにキリスト教化する方針が取られた。アイルランドでのキリスト教は、9~10世紀のヴァイキングの侵入によって衰退した。
※この「ケルトと宗教」の解説は、「ケルト人」の解説の一部です。
「ケルトと宗教」を含む「ケルト人」の記事については、「ケルト人」の概要を参照ください。
- ケルトと宗教のページへのリンク