グレイト・ギタリスト・ハント
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「ブラック・アンド・ブルー」の記事における「グレイト・ギタリスト・ハント」の解説
本作の制作は西ドイツ、ミュンヘンのミュージックランド・スタジオで1974年12月7日から15日まで、オランダ、ロッテルダムにグループ所有の移動式スタジオを持ち込んでのセッションを1975年1月22日から2月9日まで、その後再びミュージックランドにて3月22日から4月4日にかけて行われた。その後10月19日から30日にかけてスイス、モントルーのマウンテン・スタジオで、12月3日から16日にかけてミュージックランドで(ここではレッド・ツェッペリンがアルバム『プレゼンス』の制作で先に使っており、予定日までに完成しなかったためストーンズの作業が2日ほど削られた)、そして1976年1月18日から2月にかけてニューヨークのアトランティック・スタジオにて、オーバーダブやミキシングが行われた。 ミック・テイラーが1974年12月12日に突如グループからの脱退を宣言したため、ロッテルダムでのセッションは新メンバーのオーディションとレコーディングを兼ねた作業となった。このセッションには、多くのギタリスト - ジェフ・ベック、ロリー・ギャラガー、ハーヴェイ・マンデル、ウェイン・パーキンス及びロン・ウッド - が参加することとなった。この様子をメディアは「グレイト・ギタリスト・ハント」と呼び、ストーンズの新メンバーが誰になるかを予想し大いに煽ることとなった。しかし本作に収録された曲で参加が認められるのは、ハーヴィ・マンデル、ウェイン・パーキンス、ロン・ウッドの3人のみである。1975年4月に、グループと最も親交が深かったロン・ウッドが正式にメンバーに加入することで決定した。グループは同年5月より北米ツアーを開始。ウッドはこのツアーから参加しているが、当時はまだフェイセズが活動しており、あくまでサポートメンバーという扱いだった。ウッドが正式にストーンズのメンバーとなったのはフェイセズ解散後の1976年2月である。尚、ウッドが本作で参加したのは8曲中5曲だが、このうちギターで参加したのは2曲のみである。またビル・ワイマンは自著で、自身とイアン・スチュワートは、古い付き合いだったピーター・フランプトンを望んでいたことを告白している。
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