グレイト・ギタリスト・ハント〜北米ツアー
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「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」の記事における「グレイト・ギタリスト・ハント〜北米ツアー」の解説
テイラーの突然の脱退を受け、グループは1974年12月より、新ギタリストのオーディションを兼ねた新作のレコーディングを開始する。このオーディションは「グレイト・ギタリスト・ハント」と呼ばれ、誰が新メンバーになるか注目を集めた。候補と噂されたギタリストには、ジェフ・ベックやミック・ロンソンなど10名以上にもおよび、はてはウィルコ・ジョンソンやジミー・ペイジ、ロバート・ジョンソンといったありえない名前までが挙げられたが、4月14日までに旧知であったロン・ウッドが加入することで決定した。 1975年5月より、「NORTH AMERICAN TOUR 1975」が開始された(ツアー開始に合わせる形で、ベストアルバム『メイド・イン・ザ・シェイド』もリリースされている)。ツアー告知は5月1日、ニューヨークの5thアベニューにおいてトラックの荷台で「ブラウン・シュガー」を演奏する形で行われた。ツアーは6月1日のルイジアナ州バトンルージュのルイジアナ州立大学公演から始まり、8月8日のニューヨーク州バッファローのリッチ・スタディアム公演で終了した。このツアーではオープニングに「庶民のファンファーレ」が流され、巨大なペニスをかたどった風船が扇風機でステージ上に膨らまされた。この演出は警察から「あれをまた使ったら今度は刑務所行きだ」と警告されたため一度しか行われなかった。ウッドもこのツアーに同行したが当時はまだフェイセズが活動中であり、サポートメンバーという形で参加していた。同ツアーでは本作から「イフ・ユー・キャント・ロック・ミー」「エイント・トゥー・プラウド・トゥー・ベッグ」「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」「フィンガープリント・ファイル」などが演奏された。またサポートを務めたビリー・プレストンの曲も披露されている。
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