グリフィス・ジェンキンス・グリフィス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 10:00 UTC 版)
「グリフィス天文台」の記事における「グリフィス・ジェンキンス・グリフィス」の解説
詳細は「en:Griffith J. Griffith」を参照 天文台を寄付したグリフィス(1850 – 1919) は、英国ウェールズから10代のときにアメリカに移民し、貧しい中から、鉱山記者や鉱山アドバイザーを経て、メキシコの銀山で成功した人物。1882年にロサンゼルスに移住し、1887年に名家の娘と結婚した。 1896年12月に、市民へのクリスマスプレゼントとして広大な土地を公園用地として市に寄付し、町の名士となったが、1903年に休暇先のサンタモニカの高級ホテルで突然妻に発砲し、逮捕された。妻は片目を失ったが、一命を取り留めた。グリフィスは公には禁酒家を装っていたが、実は飲酒により偏執性妄想を患っており、事件のときも錯乱していたとされ、サン・クエンティン州立刑務所に2年間収監された。 出所後の1912年に名誉挽回のために天文台の寄付を申し出たが、犯罪者の名を冠する施設の建造に対して反対があり、生存中には実現しなかった。没後、グリフィス財団が作られ、遺言に従い、天文台と劇場が建設された。現在は、グリフィス公園内に銅像が建てられている。
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