クランボーン報告
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「第二次世界大戦期アイルランドの局外中立」の記事における「クランボーン報告」の解説
1945年2月21日、イギリスの自治領大臣クランボーン子爵は、1939年から1945年にかけてのアイルランドとイギリスの協力関係について、イギリスの戦時内閣にあてた報告を書いている。 彼らは、我々がフォイル湖(英語版)を海軍と空軍の作戦目的で用いる事に同意した。フォイル湖はその領有権をめぐって争われているが、南アイルランド当局は現在の所その主張を封印しており、また、風向きによっては我々の飛行艇がフォイル湖から離陸するため必要なドニゴール湖畔の飛行も黙認している。 彼らは、我々の航空機がアーン湖から大西洋に向けて飛行するため、南アイルランドの領土および領海上の回廊(英語版)を使う事に同意した。 彼らは、沿岸監視所(英語版)から受けた潜水艦活動の報告をただちにダブリンのイギリス駐在事務所に送るよう手配した。 彼らは、南アイルランド領内で目撃されたり接近したりした航空機について、彼らの航空観測隊が広く報告するよう手配した。これには、上記(2)で言及されている通路を飛行する我々の航空機は含まれていない。 彼らは、沿岸部での貿易やドイツの航空機にとって有益な目印を提供すると見られるビジネス照明の消灯を手配した。 彼らは、引き続き我々に気象報告を提供し続けている。 彼らは、我々の船舶や航空機がマリン・ヘッド(英語版)にある2か所の無線探知局を使用する事に同意した。 彼らは、ドイツ軍の墜落機、漂着者や陸地で捕えられた人員の情報を提供している。 ドイツ軍が南アイルランドに侵攻した場合の協力関係について、関係者同士の会合の場が設けられ、それ以来、両国の軍当局は緊密な連絡を取り合っている。 彼らは、南アイルランドに到達したすべてのドイツ兵を収容し続ける一方で、長期にわたる交渉の末、連合国軍人は自由に出国する事ができるようになり、損傷した航空機の回収に全面的な支援が受けられるようになった。 最近、北アイルランドに捕虜収容所を設置した件の関連で、彼らは、北アイルランドから脱走したドイツ人捕虜を南アイルランドから国境を越えて送還するか、少なくとも抑留する事に合意した。 彼らは、イギリス軍への入隊を希望する人々が南アイルランドから出国する事や、またはそのような人々が旅行休暇の際、私服姿で南アイルランドを往来する事に異議を唱えなかった。 彼らは、南アイルランドに滞在するドイツ人を含むすべての外国人について、わが国の治安当局と情報交換を続けている。 彼らは、ここ数日の内に、最新の潜水艦活動に対抗するため、南アイルランドにレーダー基地を設置する事に同意した。
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