クモハユニ44100をクモハユニ64000へ改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/19 01:35 UTC 版)
「国鉄51系電車」の記事における「クモハユニ44100をクモハユニ64000へ改造」の解説
1961年に、大糸線で使用していたクモハユニ44100に運転台増設改造を実施して、クモハユニ64形(クモハユニ64000)に形式と番号を変更した。後位の運転室も非貫通であり、連結器も密着連結器から自動連結器に取り替えられたことから、貨車の牽引や荷物電車としての運行など、私鉄の電動貨車に近い使われ方をされた。その後、1969年の赤穂線電化開業に伴い岡山電車区に転出、吹田工場で客室部分のロングシート化と後位側運転台の貫通化改造を実施した。1977年には静岡運転所に転属、牽引車代用として使用されたが、翌1978年には飯田線に転属、ぶどう色の塗色は1981年の浜松工場での全検(9月18日出場)の際にスカ色に塗り替えられた。 なお、クモ(運転台付き動力車)ハ(普通車)ユ(郵便車)ニ(荷物車)という記号は、国鉄でもっとも長かったものの一つである。
※この「クモハユニ44100をクモハユニ64000へ改造」の解説は、「国鉄51系電車」の解説の一部です。
「クモハユニ44100をクモハユニ64000へ改造」を含む「国鉄51系電車」の記事については、「国鉄51系電車」の概要を参照ください。
- クモハユニ44100をクモハユニ64000へ改造のページへのリンク