クイーンの結成へ
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「スマイル (バンド)」の記事における「クイーンの結成へ」の解説
1970年、スタッフェルが別バンドのハンピー・ボング(英語版)へ加入するため脱退したことから、スマイルは空中分解状態となる。バルサラはメイとテイラーに対してバンドを続けるよう説得し、同時期に名字を「マーキュリー」へと変更して、リード・ヴォーカリストとしてバンドに加入し、クイーンが結成されることになる。新体制となったバンドは、マイク・グロース、バリー・ミッチェル、ダグ・ボギー (Mike Grose、Barry Mitchell、Doug Bogie) など多くのベーシストを試したが、誰もバンドと化学反応を起こせずに終わってしまった。結局ベーシスト探しは、1971年2月にジョン・ディーコンが加入するまで続き、その後彼らはファースト・アルバムの録音作業に取り掛かった。こうしてクイーンは4人体制となり、この体制はマーキュリーが死去する1991年、更には彼の死後1995年に発売されたアルバム『メイド・イン・ヘヴン』の発売まで1度も変更されることなく続いた。 ディーコンが加入して作られたファースト・アルバム『戦慄の王女』には、スマイル時代の曲『ドゥーイング・オール・ライト』"Doing All Right" が収録された。書籍 "Queen: The Early Years" によると、スタッフェルはメイとの共作クレジットを得て、アルバム売り上げからロイヤルティーを得ることができ、充分に補償された様子である。クイーンは他にも、ジョン・ピールと出演したBBCでの初収録セッション(1973年)でこの曲を演奏している。このセッションの様子は、3度目のセッションと共に、イギリスでは1989年の『アット・ザ・ビーブ』"At the Beeb"(バンド・オブ・ジョイ・レコーズ)、北米では1995年の "Queen at the BBC" へ収録された。また1995年にクイーンが発表したシングル『レット・ミー・リヴ』"Let Me Live" には1973年のこのセッションから3曲が収められ、『ドゥーイング・オール・ライト』もその中に含まれている。
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