クイーンの結成へとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > クイーンの結成への意味・解説 

クイーンの結成へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 14:56 UTC 版)

スマイル (バンド)」の記事における「クイーンの結成へ」の解説

1970年、スタッフェルが別バンドのハンピー・ボング(英語版)へ加入するため脱退したことから、スマイル空中分解態となる。バルサラはメイテイラーに対してバンド続けるよう説得し同時期に名字を「マーキュリー」へと変更してリード・ヴォーカリストとしてバンド加入しクイーン結成されることになる。新体制となったバンドは、マイク・グロース、バリー・ミッチェル、ダグ・ボギー (Mike Grose、Barry MitchellDoug Bogie) など多くベーシスト試したが、誰もバンド化学反応起こせずに終わってしまった。結局ベーシスト探しは、1971年2月ジョン・ディーコン加入するまで続きその後彼らはファースト・アルバム録音作業取り掛かった。こうしてクイーン4人体制となり、この体制マーキュリー死去する1991年更には彼の死後1995年発売されアルバムメイド・イン・ヘヴン』の発売まで1度変更されることなく続いたディーコン加入して作られファースト・アルバム戦慄の王女』には、スマイル時代の曲『ドゥーイング・オール・ライト』"Doing All Right" が収録された。書籍 "Queen: The Early Years" によると、スタッフェルはメイとの共作クレジット得てアルバム売り上げからロイヤルティーを得ることができ、充分に補償され様子である。クイーンは他にも、ジョン・ピール出演したBBCでの初収録セッション1973年)でこの曲を演奏している。このセッション様子は、3度目セッションと共にイギリスでは1989年の『アット・ザ・ビーブ』"At the Beeb"(バンド・オブ・ジョイ・レコーズ)、北米では1995年の "Queen at the BBC" へ収録された。また1995年クイーン発表したシングルレット・ミー・リヴ』"Let Me Live" には1973年のこのセッションから3曲が収められ、『ドゥーイング・オール・ライト』もその中に含まれている。

※この「クイーンの結成へ」の解説は、「スマイル (バンド)」の解説の一部です。
「クイーンの結成へ」を含む「スマイル (バンド)」の記事については、「スマイル (バンド)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「クイーンの結成へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クイーンの結成へ」の関連用語

クイーンの結成へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クイーンの結成へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスマイル (バンド) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS