クイーンでの役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 15:34 UTC 版)
「ジョン・ディーコン」の記事における「クイーンでの役割」の解説
ボーカルを全くしなかったことや、バンド内で最年少だったこともあり、当初ディーコンの存在感は薄く、他の3人に比べると作曲を始めるのは遅かったが、3枚目のアルバム『シアー・ハート・アタック』収録の「ミスファイアー」で初めて自作曲が採用される。4枚目のアルバム『オペラ座の夜』では2曲目の自作曲「マイ・ベスト・フレンド」が収録され、全英7位、全米16位のヒットとなった。この曲ではマーキュリーが生ピアノでなくては弾きたくないと拒んだため、ディーコン自身がエレクトリックピアノを弾いている。 その後、アルバム毎に自作曲1、2曲をコンスタントに提供するようになり、全世界で700万枚セールスを挙げたマーキュリー生前のクイーン最大のヒット曲「地獄へ道づれ」(全米1位、全英7位)、全英3位の他、世界数カ国でナンバーワンヒットとなった「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」など、寡作ながらもクイーンの代表作となる曲を発表し、バンド内での存在感を増していった。 また、前述のギターアンプ “Deacy(ディーキー)”などを制作。その学歴を生かし、バンドに貢献した。 ファーストアルバム『戦慄の王女』のクレジットでは、「ディーコン・ジョン」とクレジットされているが、これは、そのほうが響きがいいからという理由で、メンバーが判断し、そうクレジットされたと考えられる。実際に初期の音源では、司会者に「ディーコン・ジョン」と紹介されていることから、誤植ではなく意図的なものだということがわかる。その後、ディーコンが本名でのクレジットを要求したことから、セカンドアルバム『クイーンII』以降は元の表記に戻っている。 ディーコンにとっての最初のベース・ギターはオポジション時代のエルコに始まり、ほどなくしてリッケンバッカーの4001となった。クイーンではフェンダー・プレシジョン・ベースが主に使用され、何度かの塗装変更などが行われた。後期にはロジャー・ギフィンによるカスタム・ベースも使用した。またミュージックマンのスティングレイ・ベースも使用していた。
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