キリスト教におけるディヴォーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 09:05 UTC 版)
「ディヴォーション (キリスト教)」の記事における「キリスト教におけるディヴォーション」の解説
"devotion" は、キリスト教における用語として「日々、時を定めて神の前に自らのこころ、たましいを静める営み」、「神との交わり」を指し、キリスト者学生会(KGK)などでは静思の時と呼ばれる。個人だけでなくスモールグループの時のテキストに使用される。 そのような「ディヴォーション」の内容は 聖書の通読―聖書の拾い読みではなく、聖書を順を追って日々何章かを読み進んでゆく営み―をする。 「ディヴォーショナル」(デボーションのための)と称される日々の短い読み物、特に、聖句の解説、に触れる。 自分のたましい、心の状態を神の前に曝け出して、思い巡らす。 キリストにある兄弟姉妹、また、周囲の人々、果ては、全世界の人々を覚えて執り成しの祈りを捧げる。 からなる。 このような信仰的な営みが「ディヴォーション」という名のもとにキリスト教徒には推賞されている。中世の修道院においては、詩篇119篇164節に「私は日に七度、あなたをほめたたえます」とあることから、早朝、朝9時、正午、午後3時、夕方、夜、就寝前に「ディヴォーション」または祈りの時を定めていた。特に、朝は一日の始まりであるので、朝のディヴォーションは、神第一の姿勢の表れとして、大切なものとされている。ただし、現代では時間や方法は人それぞれで縛られることはない。
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