キリスト教における「義」とは? わかりやすく解説

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キリスト教における「義」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 21:35 UTC 版)

「義」の記事における「キリスト教における「義」」の解説

キリスト教における義という訳語は、ギリシア語でΔικαιοσυνη dikaiosynee ディカイオシュネー呼ばれるもので、罪の対立概念とされる。これは他者に対して義(ただ)しい、誠実な偽りのない態度で臨むこと、またそのような態度が可能である魂の状態をいう。義しい人を義人と呼ぶ。 福音書パウロ書簡などで主題化される。 神によって「義とされる」(義とする:ディカイオオー)ことも同じ問題圏に属する。 真に義であるのは神のみである(「義人はいない」)が、人間は神を信じることにおいて義さに近づくことができる。信じないことは不義同義であるとされる。『ヤコブの手紙によれば義しさは、神への信仰表明することのみならず他の人間対す行為において現れるルターは人が行動において義とされること(行為義認)を否定し信仰によってのみ人が義とされる信仰義認)と考えそれまでキリスト教行われていた苦行断食などを否定した

※この「キリスト教における「義」」の解説は、「義」の解説の一部です。
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