ガウチョ文学
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1819年に連邦同盟のホセ・アルティーガス(スペイン語版、英語版)と共に戦った軍人だった現ウルグアイ出身のバルトロメ・イダルゴ(スペイン語版)が、アルティーガスらの独立運動の失敗が、新しい国家を国民の求めるものにできなかったブエノスアイレスの寡頭支配層の考え方にあると考え、ガウチョをそれまで見られていたような浮浪者ではなく古いヨーロッパに抵抗して新しいアイデンティティを求める、新しい国家の精神を反映する存在として描く、斬新なガウチョ文学(スペイン語版、英語版)を開始した。 サルミエントに代表される自由主義知識人はガウチョをスペイン的な遅れたもの、野蛮なものの見本のように扱い毛嫌いしたが、大衆の心性に訴えたガウチョ文学はその後アルゼンチンの作家ホセ・エルナンデスの叙事詩『マルティン・フィエロ(スペイン語版、英語版) 』(1872) などによって完成され、その独特な文化や精神性を歌い、アルゼンチンの国民文学となった。 20世紀に入ると、東欧系のユダヤ移民がアルゼンチンに同化する様子を描いた『ユダヤ人のガウチョ(スペイン語版、英語版)』(The Jewish Gauchos of the Pampas, アルベルト・ゲルチュノフ(スペイン語版、英語版)著)などの作品も生まれた。この作品は発表された当時は前向きに受け止められたが、20世紀後半に映画化されるとなった時にアルゼンチン人の反ユダヤ主義の猛攻撃を受けることになった。ユダヤ人がアルゼンチンの誇るガウチョであってはならないというのがその理由だった。
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