カロリング朝の軍制改革と騎兵制の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 13:27 UTC 版)
「フランク王国」の記事における「カロリング朝の軍制改革と騎兵制の確立」の解説
メロヴィング朝とカロリング朝の交代期には、一般的な通説として軍制改革が行われフランク軍の性質が大きく変化したとされている。通説を打ち立てたH.ブルンナーによれば、カール・マルテルがトゥール・ポワティエ間の戦いにおいてイスラームの騎兵軍の潜在的破壊力を見抜き、これを参考にフランク王国に重装騎兵軍を創出し、それを社会・経済的に維持するための諸策が封建制の確立につながったとされている。この説によれば、カール・マルテルはこの新しい軍事力を維持するために6世紀から7世紀にかけて著しく拡大した教会領を接収したほか、司教・修道院長に自身の信頼できる俗人家臣を任命し、さらにその領地を軍馬の飼育と馬役を担う従士たちに封地として分与させた。メロヴィング期には歩兵主体であったフランク軍では8世紀半ば以降、騎兵が際立って強化されることとなった。9世紀にはパリ伯ウードがアクィタニア(アキテーヌ)地方とその周辺から1万騎の騎兵と6,000人の歩兵を招集し、921年にはロベール1世がネウストリアとアクィタニアから4万騎の騎兵を招集するまでになるなど、カール・マルテルの軍制改革に端を発した騎兵制は完成の域に達したとされる。このような軍制改革論には批判があるが、なお通説としての地位を維持している。
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