カロリング朝の辺境侯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 15:54 UTC 版)
「ネウストリア」の記事における「カロリング朝の辺境侯」の解説
ネウストリアの辺境侯(en)は、861年にカロリング朝の王シャルル禿頭王が創設した。元々は2種の辺境侯があった。一つはブルトン人に対するもの、残りはノース人に対するものであった。両辺境侯はしばしばブルトン辺境侯、ノルマン辺境侯とめいめい呼ばれた。王の任命した官吏が務め、管理人、知事、辺境伯と称した。 911年、ロベール1世が2つの辺境侯位を得て、デマルクス(demarchus)という称号を名乗った。彼の系統、後のカペー家が987年までネウストリア全土を治めていた。987年、ユーグ・カペーが王に選出された。従属的なネウストリアの侯位は、ヴァイキングの絶頂期、ブルトン人の反乱といった節目に力を持ち辺境伯より勝った。カペー家がフランス王位につくという奇跡の後、辺境侯が任命されることはなく、ネウストリアはヨーロッパの政治的用語として消滅した。
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