カメラ活動の開始まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:35 UTC 版)
1917年(大正6年)、シンガポールで父・山端祥玉、母・フクの間に生まれる。父は当地で写真スタジオ・写真材料商を営む「サン商会」の経営者。祥玉は福井県勝山市生まれで、大阪・東京で写真の修業した写真家で、大正末に南方から帰国後、築地で日本初の高速度輪転写真を始めて活躍し、国際国際宣伝企業を興して日本文化を世界に紹介した。 青山学院中等部を修了し、法政大学予科に入学する。1935年(昭和10年)に父からライカを譲り受け、本格的に写真を撮り始めた。1936年(昭和11年)に法政大学を中退。父が経営するジーチーサン商会(サン商会を改称)にカメラマンとして就職した。ジーチーサン商会は戦時中に山端写真科学研究所と改称。1943年(昭和18年)に東京有楽町の日劇および大阪高島屋の正面に掲げられた100畳敷写真大壁画「撃ちてし止まむ」の撮影・制作に関わったことで知られる。その後敗戦にともない解散した。
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