カナン侵攻
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前述のように、紀元前12世紀頃からイスラエル人たちは山岳地帯からカナン地方に進出した。これを描いたのが旧約聖書のヨシュア記と士師記である。この進出が敵対的侵攻だったのか平和的な定住だったのかについては諸説あるが、預言者的かつ軍事的指導者である「士師」が相次いで現れてイスラエル人全体を導いたとする旧約聖書の記述などからは敵対的侵攻が多く含まれていたことは確かである。ただし、旧約聖書の描く士師は、神の意志を伝えるシャーマン的な女性、特定地域で住民同士の様々な問題の仲裁に当たった小士師、一部部族の軍事的指導者たる大士師など様々である。旧約聖書の編纂期に、これらの人々が「イスラエル全体を裁き導くカリスマ的軍事指導者」の系列としてまとめられたとみる必要がある。
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カナン侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 14:51 UTC 版)
このように成立したイスラエル部族連合は前12世紀頃からカナンの諸都市に敵対的に侵攻あるいは平和的な定住を行ったが、この時期を描くヨシュア記・士師記の記述がどれだけ歴史的事実に基づいているのかは不明である。たとえば、ヨシュアが角笛を吹き鳴らさせると城壁が崩れ落ちたとされるエリコであるが(ヨシュア記6章)、考古学調査によればエリコの城壁は紀元前2300年頃に崩壊しており、イスラエル人のカナン侵攻の時期にはエリコは無人であったと推測する説がある。つまりエリコ攻略は、遺跡を目にしたイスラエル人たちが創作した縁起神話と考えるのである。 旧約聖書では士師が相次いで現れてイスラエル人全体を導いたように描かれている。しかし、記述を詳細に検討していくとデボラのような神の意志を伝えるシャーマン的な女性、特定地域で住民同士の様々な問題の仲裁に当たった小士師、一部部族の軍事的指導者たる大士師など様々な立場の人間が存在し、それらが「イスラエル全体を裁き導くカリスマ的軍事指導者」の系列として後世にまとめられたものと考えられる。
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