カオス的多様性と状況の存在論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/30 02:46 UTC 版)
「ヘルマン・シュミッツ」の記事における「カオス的多様性と状況の存在論」の解説
シュミッツによれば、多様性は数多性と混同されてきた。しかし数多性は、個体の区別を前提としている。しかしシュミッツによれば、個体性は原初的現在が展開することで初めて成立する。それ以前は、何と何が同じで何と何が異なるのか、すなわち、同一性と差異性が未決定な状態にある。これをシュミッツは「カオス的多様性(chaotische Mannigfaltigkeit)」と呼ぶ。それに対して、個体性を前提にした多様性は「個体的多様性(individuelle Mannigfaltigkeit)」ないし「数多的多様性(numerische Mannigfaltigkeit)」と言われる。私たちの経験、知覚は、常に多かれ少なかれカオス的な性格をもち、どこかに同一性と差異性が未決定な部分を含んでいる。それはまどろみのようにほとんどがカオス的なものから、目覚めた状態で何かを観察しているときのように、個体性がかなり明瞭な場合までいろいろある。 カオス的多様性との関連で重要な存在論的概念が、「状況(Situation)」である。これはそれ自身が一つの明瞭なまとまりをもちつつも、内部にカオス的多様性を含むもので、典型的なのは「印象」である。人の印象は、服装や髪型など、そのつどさまざまに変わっても、その人に特有のものがある。それは、印象自体の内部は漠然としていて、前と何が同じで何が違うかが未規定でありながら、全体として統一性をもっているからである。その他、世界観や個性も、同じく状況の一種とされる。状況の対概念となるのが「複合体(Konstellation)」であり、これは個別的な要素の集合体である。 伝統的に存在論は個体を前提としているので、何らかの集合や全体(世界、社会、人間の存在様態、人生観、文化など)は、複合体として論じられてきた。しかしシュミッツによれば、それは現実を適切に捉えていない。さまざまな集合や全体は、むしろ状況としての性格をもっていることが多い。状況は、内部の同一性と差異性に未決定な余地があるため、矛盾に対して寛容であるという特性をもつ。他方、複合体は、内部の要素間の関係に柔軟性がなく、緻密で首尾一貫した連関であるとされるので、矛盾や齟齬を含んでいると、全体が脅かされる。しかし世界にせよ、社会にせよ、人生観にせよ、それほど脆弱ではなく、細かく見れば矛盾したところがあっても、全体としては安定しているのが普通である。このようにカオス的多様性と状況の概念を提示したことは、シュミッツの存在論のもっとも重要な意義であり、またこれらは、彼の共同体論においても、基本的な概念になっている。
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