オカルティスムへの傾倒
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「ウィリアム・バトラー・イェイツ」の記事における「オカルティスムへの傾倒」の解説
このころ創作面では、イェイツの作品のうち最も広く知られる詩の一つ「イニスフリー湖の島」(The Lake Isle Of Innisfree)を含む詩集『キャスリーン伯爵夫人および諸伝説と抒情詩』(The Countess Kathleen and Various Legends and Lyrics, 1892年)などを発表するほか、オカルティズムへの傾倒を深め、当時のロンドンで人気を集めていた「神智学協会」や「黄金の夜明け教団」に加入して心霊学や神秘思想の研究に没頭している。このころ『ウィリアム・ブレイク著作集』を編纂したほか、マラルメなどフランス象徴主義文学への関心を深め、パリでヴェルレーヌと出会っている。 1896年、イェイツはゴールウェイ地方の富裕な地主の未亡人だったグレゴリー夫人(1852年 - 1932年)の知己を得る。グレゴリー夫人はイェイツの詩才を高く評価し、以後生涯にわたってイェイツの重要な後援者となった。イェイツはしばしば彼女の邸宅に滞在して創作に専念し、規則正しいゆたかな生活と、いくつもの湖沼をかかえる広大な地所の景観は、イェイツの詩作の重要な主題となってゆく。 1899年に発表された『葦間(あしま)の風』(The Wind among the Reeds)は、イェイツの文名を高めた妖精伝説の素養と、報われない恋の憂鬱や神秘主義が混然となった詩集で、初期代表作のひとつとみなされている。このころ、ほかに短編集『秘儀の薔薇』(The Secret Rose, 1897年)や批評集『善と悪の観念』(Ideas of Good and Evil, 1903年)などを相次いで発表している。
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