エーゲ海の文字の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 03:28 UTC 版)
「ファイストスの円盤」の記事における「エーゲ海の文字の歴史」の解説
エーゲ海地方で興った最初の高度な文明は紀元前2000年ごろのミノア文明である。ミノア文明がどのようにして独自の文字を獲得したのかは分かっていない。最も有力な説は、現在のレバノンに中心があったビブロスがエジプトのヒエログリフとメソポタミアの音節文字を取り入れたというものである。ビブロスの文字はアナトリア、フェニキア、エーゲ海に伝わり分化していく。エーゲ海では、ヒエログリフの色彩が強い音節文字となった。 音節文字はある音節に対して1つの文字を割り当てるという方式を採る。日本語のように音節が子音+母音となっている言語であれば音節文字は使いやすい。例えば、「k」+「e」を「ケ」と表せる。しかし、音節文字は一音節に複数・不定個の子音が含まれる言語を表すためには向いていない。多数の単語がある同一の音節文字の組合せによって表現されてしまう、つまり読めないからだ。ミノア文明における文字の発展が不安定であった理由の一つが、音節文字がギリシア語やミノア語(ギリシア語とは異なる)に合致していなかったからだと考えることもできる。ビブロスから取り入れた最初の音節文字がすぐに線文字Aに、次いで、ミケーネでは線文字Bへ、ミノアからキプロスに文字が伝わると、キュプロ・ミノア文字(線文字C)へ、さらにキュプロス音節文字に移行していった。 これらの文字は商取引に多用された。例えば、「サントリーニ島の某から2月1日にオリーブオイル50瓶とワイン瓶を金貨5枚で購入した」というようなものだ。この文章を音節文字で表す場合、品目以外を音節文字で、品目のみ、各品に固有の表語文字を用いた。数詞のみを専用の文字で表すこともあった。
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