エルミオーヌの破壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 07:50 UTC 版)
「ジャン=ラベルの海戦」の記事における「エルミオーヌの破壊」の解説
「エルミオーヌ」の士官たちはこの命令に反対だった。パーカーの戦隊が接近しており、拿捕船を連れて行くのは危険だと考えたのである。しかし彼らの考えは却下され、艦は1797年の4月半ばに出帆した。カパイシャンを出てまもなく、エルミオーヌは航海中のイギリスのフリゲート艦ジャヌス(英語版)に発見された。このジャヌスの艦長はジェームズ・ビセットだった。「ジャヌス」は「エルミオーヌ」よりかなり小さかったが、「エルミオーヌ」は攻撃を仕掛けようとはせず、マレゴ(英語版)の港の方に向きを変えた 。その間ビセットは西へ針路を取り、4月15日にモール=サン=ニコラ沖にいたパーカーの戦隊と出会った。パーカーは自分の自由になる戦列艦が3隻あった。ひとつは座乗艦であるクイーン、そしてウィリアム・オギルヴィー艦長のサンダラー、そしてエドワード・クロウリー艦長のヴァリアントだった。パーカーは後の2隻をマレゴへやって「エルミオーヌ」を探索させ、その間自艦を物資補充のため入港させた。 15日の午後、「サンダラー」は「エルミオーヌ」がサンドマング北岸とトルトゥーガ島、そしてトルトゥガ海峡の間を航行して行くのを発見した。大型艦の「サンダラー」はフリゲート艦「エルミオーヌ」をジャン=ラベルの近くのムスティークの入江まで追跡した。エルミオーヌは、岩の多い海岸線の沖合の浅瀬で錨をおろした。オギルヴィーは「エルミオーヌ」の居所をパーカーに知らせ、「サンダラー」、「ヴァリアント」と共に入江に入って、「エルミオーヌ」を破壊するようにとの命令を受けた。16時15分、2隻は入り江の入り口を探し当て、危険な浅瀬にどうにか入って「エルミオーヌ」に近づいた。しかし風が強くなって行き、オギルヴィーはついに、この状態ではあまりにも危険で難破することもあると腹をくくった。17時、2隻は「エルミオーヌ」の舷側を何度か砲撃したが、相手からの攻撃はなかった。しかし「エルミオーヌ」にも大した損害はなく、風はなお強いままで、そのためオギルヴィーは、その夜は射程外の場所まで引き上げた。 4月16日の朝、サンダラーとヴァリアントは戻って、昨日よりも風のない好天のもと、2隻で「エルミオーヌ」を攻撃した。自分たちの艦が逃げることもできず、不可能と言える勝ち目に直面し、士官たちは唯一取れる選択肢を選んで、7時にゆっくりと艦を岸に乗り上げ、艦に火をつけて撤退した。「エルミオーヌ」の火薬庫が8時47分に爆発し、「サンダラー」と「ヴァリアント」が退く際に完全に破壊された。フランスの死傷者は定かではないが、退いた2隻のイギリス艦に死傷者はなく、損害も小さいものだった。
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