エリートの育成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:17 UTC 版)
植民地を統治するには現地に通じた行政官の育成が不可欠であり、各国とも本国人の植民地統治のエキスパートを育成して植民地統治にあたらせた。インドにおけるインド高等文官などがその例である。 一方で、本国人官僚だけでは広大な植民地の統治は不可能であり、統治をスムーズに進めるため、各国は植民地住民の中からエリートを育成し、現地の下級官吏などの地位につけた。こうした植民地エリートは支配の緩衝作用を果たすものとしてイギリスやフランスでは本国への留学なども含め積極的に育成が行われたが、あくまでも彼らは植民地統治を補佐する存在に過ぎず、本国人官僚よりも高い地位に就くことはほとんどなかった。こうした不満から植民地エリートはややもすれば独立運動へと走ることがあり、各植民地での独立運動並びに独立後の指導者層の多くを輩出した。なかには社会主義や共産主義に感化された者もおり、独立後に東西冷戦のもとで旧ソ連などの共産圏との関係を強めた指導者もいた。特にフランス領アフリカの各植民地独立においては植民地エリートの果たす役割は大きなものがあった。逆にベルギーの植民地支配はこの点でやや特異であり、ベルギー領コンゴでは初等教育は植民地に広く普及させたものの、独立の直前となる1955年まで大学が開設されなかった。このため、コンゴ民主共和国の独立時に行政を引き継ぐべき現地エリートがほぼ存在しておらず、行政の崩壊とコンゴ動乱を招くこととなった。
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