エネミー・ゼロ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 14:39 UTC 版)
『エネミー・ゼロ』は当初プレイステーション(PS)で発売されることになっており、1996年3月27日に開催されたソニー・コンピュータエンタテインメント主催のイベント「プレイステーションエキスポ」にて製作発表会が行われた。 デモ映像を流した後、飯野が挨拶をするという流れだったが、デモ映像終了後に飯野が壇上で突然マッキントッシュのキーを叩いた次の瞬間、スクリーンに映し出されていたプレイステーションのロゴがセガサターンのロゴにモーフィング変形し、それに続き、当時のセガの社長である入交昭一郎による「セガサターンへようこそ」というメッセージビデオが流れた。事実上のプレイステーション版の開発無期限停止とセガサターン版の開発開始の発表であり、その手法があまりに異様であったため、エネミー・ゼロ事件とも呼ばれている。 同事件は『Dの食卓』がマルチプラットフォーム化された際に、先に発売されたセガサターン版が見込み発注により在庫がダブつき、結果的に大量に中古市場に流れた事態を受けて、PS版の発売の際に余剰在庫分は自社で回収するという条件を提示して初回出荷15万本を要望したにもかかわらず、SCEは初回4万本と初回生産本数を必要以上に減らしたことに端を発している。しかも、PS版は完売してしまったため飯野はこの時にビジネスチャンスを潰されたと考えたが、プレイステーション側の担当者はそうは考えず、確執が生まれた。 『エネミー・ゼロ』製作時、『Dの食卓』の利益をすべてつぎ込むような体制になっていて、飯野は前回のような事態になることを恐れたという。なお、この事件以降、ワープはプレイステーションで作品を発表しておらず、これが原因となってセガサターン一極体制となったワープの経営には大きな影響が生じた。
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