エイゼンシュテインと日本・その他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 15:43 UTC 版)
「セルゲイ・エイゼンシュテイン」の記事における「エイゼンシュテインと日本・その他」の解説
モンタージュ理論が確立されたのはエイゼンシュテインが一時期、日本人教師に漢字を習っていたからだという。漢字という象形文字の持つ抽象的な概念を描写的デザインに表現しているという基本コンセプトから、「身」と「美」で「躾」に、「口」と「鳥」で「鳴」になるなど、全く別の意味になるということに興味を持ったという。このコンセプトを基にモンタージュ理論を開発したという。1920年代の日本映画に関し、エイゼンシュテインは「最近の日本映画は米国映画の真似ばかりをしている。なぜ日本独自の映像美を語ろうとしないのか」と手厳しく批判している。1927年からソ連を訪問した湯浅芳子、宮本百合子の訪問を受け、一緒に写った写真が現存している。 ハリウッドに呼ばれ、喜劇王・チャップリンとテニスに興じる写真などがある。アメリカ人の聴衆に向かって「モニュメントバレーのような壮大なセットがあるにもかかわらず、西部劇のようなものしか撮れないハリウッドはどうかしてる」と一刀両断した。以降、エイゼンシュテインがアメリカに呼ばれることはなかった。また、ディズニーのアニメ『白雪姫』を鑑賞、「映画史に残る史上最高の傑作」と絶賛している。1998年1月23日、ロシア中央銀行はエイゼンシュテイン生誕100周年を記念して15000枚のコインを発行した。表面には『戦艦ポチョムキン』を編集中のエイゼンシュテイン、裏面には撮影中のエイゼンシュテインが描かれてある。
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