ウクレレ奏者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 12:22 UTC 版)
ウクレレとの出会いは中学校3年の時。15歳の誕生日に3番目の兄からウクレレを贈られたことがきっかけで、ハワイアン・ミュージックに造詣を持った。中大在学中は音楽研究会「ルナ・ハワイアン」に所属し、何度かアルバイトとして仲間たちと銀座のクラブなどで演奏したこともある。研究会の先輩に谷啓がいる。 1990年代後半以降の高木は、ウクレレ奏者としてクローズアップされているが、15才の時に柏市内の夏祭りでの初演奏を皮切りに高校もウクレレ三昧で過ごした。その後大学時代にはユニットを結成、ウクレレ奏者として当時都内の学生の間で名前が知れ渡るほどの腕前を誇っていた。 ドリフ加入後、ハロナ・セレナーダス時代からの仲間である青木健たちと「高木ブーとニュー・ハロナ」を結成するなど、ウクレレ奏者としての活動も盛んになる。自身が経営していた「ブーズバー・ハロナ」では、定期的にミニコンサートを行ったほか、ウクレレ教室も開いた。 また、CDアルバム『LET IT BOO』をはじめ、2002年にはモーニング娘。とのコラボレーションでハワイアン風のCD、2004年10月に『美女とYABOO!』をそれぞれリリースしている。 2008年3月には、ハワイで最高の名誉といわれる「ワイコロア・ウクレレ・フェスティバル」に、プロ演奏者として初めて招聘された。また2009年3月にも30分間のソロ・ステージをこなし、2020年にも演奏している。2020年6月より、イザワオフィスのYoutubeチャンネルで「【WithBOO】雷様のウクレレ レッスン」をシリーズで公開している。 2021年4月には高木がウクレレを弾きながら歌った、ハワイアンのスタンダードである『マヒナ・ホク』が中学の音楽教科書の副教材のDVDに収録された。
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