イラスト入り出版物の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 04:42 UTC 版)
「木口木版」の記事における「イラスト入り出版物の発展」の解説
1820年代以降、版画家はこの技法によって微妙な明暗を表現するだけでなく、フリーハンドでの線描も行なった。 しかし、ブロックの木口だけを使うのは多くの点で不便だった。なぜなら、それまでの版画家は、画家のドローイングの印刷可能な線を作成するために、ブロックのあらゆる面を使わなければならなかったからである。それにもかかわらず、これは木版画の最も一般的な技法となった。 例としては、『パンチ』の漫画、『イラストレイテド・ロンドン・ニュース』の写真、ルイス・キャロルの作品におけるジョン・テニエルのイラストなどが挙げられる。米国では『ハーパーズ・ウィークリー』などの木版画による出版物も定着し始めた。 『イラストレイテド・ロンドン・ニュース』の製版部門を率いていたイギリス生まれの版画家、フランク・レスリーは、1848年にアメリカに移住し、製版における分割作業方式を考案した。 まず単一のデザインが網目の線に分解され、版画家は正方形に彫るようになった。次に、ひとつの画像をいくつかのブロックに分割した。 なお、フランスでは色の濃淡を確実にするために、"La mise en train"(電車の中の設定)と呼ばれる工夫を行なっていた。これは印刷時の圧力を高めるためにボール紙などを用紙の下に敷くことである。ちなみにビウィックは印版のもっとも明るく表現される部位をわずかに低く作ることによってこれを実現していた。 これらの方式は、南北戦争のシーンを描く際に駆使され、『ハーパーズ』と競合した彼の雑誌『フランク・レスリーズ・イラストレイテッド・ニューズペーパー』の基礎を築くことになる。
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