イギリスツーリングカー選手権(BTCC)での活動
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「ルノー・ラグナ」の記事における「イギリスツーリングカー選手権(BTCC)での活動」の解説
1994年 昨年までのルノー・19に代わって参戦を開始。ボディーカラーはイエロー。ドライバーはアラン・メニュと1992年BTCCチャンピオンのティム・ハーベイ。メニュが2勝してシリーズ2位を獲得。ハーベイもこの年1勝している。チーム運営はルノー・スポール。 1995年 シーズンを通して2台参戦。ドライバーはアラン・メニュと1991年のチャンピオンウィル・ホイ。ドライバータイトルはボクスホール・キャバリエのジョン・クレランドに奪われたものの、メニュがシリーズ2位。ホイも4位に入りチームタイトルを獲得した。この年からウィリアムズがルノーのBTCCチームの運営を担当することになった。 1996年 シーズン通して2台参戦。ドライバーは昨年に引き続き、アラン・メニュとウィル・ホイ。この年もアウディ・A4のフランク・ビエラに次いで、メニュがドライバーランキング2位を獲得した。 1997年 2台フル参戦。ドライバーはアラン・メニュとこの年からBTCCに参戦を開始し、2019年現在もBTCCで活躍しているジェイソン・プラト。この年のラグナは圧倒的な強さをみせ、他メーカーを圧倒。メニュが12勝を記録して悲願のシリーズチャンピオンを獲得。2度目のチームタイトルも獲得し、プラトもデビューイヤーだったが、2勝してシリーズ3位を獲得した。 1998年 この年も2台がシーズンを通して参戦。ドライバーも前年に引き続き、アラン・メニュとジェイソン・プラト。この年からメインスポンサーにネスカフェを迎え、ボディーカラーがグリーンに変更された。この年はボルボ・S40のリカルド・リデルと日産・プリメーラのアンソニー・レイドの争いとなり、チャンピオン獲得はならなかったが、この年も1年を通じて上位に付け、2人合わせて4勝を記録している。この年はインディペンデントチームのDC・クック・モータースポーツからトミー・ラスタットが前年型で参戦。インディペンデント部門のチャンピオンを獲得した。 1999年 この年も2台参戦。前年に引き続きメインスポンサーはネスカフェで、グリーンのボディーカラーだった。ドライバーは残留したジェイソン・プラトとF1に参戦経験を持つジャン=クリストフ・ブイヨンのコンビとなった。この年もプラトがシルバーストーンで優勝を飾ったが、この年は前年チームタイトルを獲得した日産が好調で他メーカーを圧倒。ルノーもこの1勝に留まり、ルノーワークスはこの年限りでBTCCから撤退した。インディペンデントチームからもラッセル・スペンスが前年型で参戦したが、シーズン途中のスネッタートン戦からウィル・ホイに交代。ホイは約2年ぶりにラグナのステアリングを握ることになった。 基本的にラグナはBTCCに重点を置いて参戦したが、1995年にはイタリア・スーパーツーリングカー選手権のヴァレルンガ戦にエントリーし、アラン・メニュとウィル・ホイがゲストドライバーとして参戦した。ホイは第1レースで5位。第2レースでは4位入賞を果たしている。スウェーデンツーリングカー選手権 (STCC)にもプライベーターチームからアンデルス・ラーソンのドライブで、1996年及び1997年にフル参戦したが、プライベーター体制だったこともあり好成績を残すことはできなかった。
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