アンチョン・アジェスタラン指揮時代(1968-1986)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 18:29 UTC 版)
「オルフェオン・ドノスティアラ」の記事における「アンチョン・アジェスタラン指揮時代(1968-1986)」の解説
フアン・ゴロスティディの死去にともない、アンチョン・アジェスタランが合唱指揮の地位を継承した。それ以前、アジェスタランは合唱団の副代表でテノールを担当していた。「これ以上は無理」という限界を超越するのが彼のモットーで、芸術的な力を前任者に負けじと発揮した。そして彼の指揮の下で合唱団はより多様な国際ツアーを行い、大衆的認知と外国からの批評を受けた。 アジェスタランはカリスマ性を持った人物と考えられており、音楽に突き動かされる情熱・限界を克服したい気持ちを団員に伝えられる情熱的指揮者であった。彼が指揮した時代は、オルフェオンの所属団員たちが情熱的変革に戸惑いを覚えながら練習をしたが、一方ではまた今日までアジェスタランの名前で続く音楽教室を開いた時代でもあった。 アジェスタランは言った。「オルフェオン・ドノスティアラがもしアマチュアリズムの火を絶やさず、かつプロに負けない音楽水準を芸術的完成を追求しつつ極めれば、精神の渇きを癒す水のような合唱団になれるだろう。そうなってほしい。美しく根源的な情熱の融合、汚れなき純粋な求道者精神との融合。技術と芸術のフュージョン、それは物質と精神の融合だ」と。 1984年、オルフェオン・ドノスティアラはまたも大きな賞を新たに獲得した。アストゥリアス王子芸術賞、それはごく一握りの真に卓越した歌唱者しか得られない賞だった。「86年の永きにわたる自分たち自身との戦い・芸術水準を極める過酷な戦いを続け、合唱団は限界克服を達成し一流の仲間入りをして、世界中の批評と称賛を浴びる有名な存在になった。その集団性に優れた仕事ぶり、求められる要求をこなす能力、センスと団結力。王子芸術賞は必然的(Jurado)。これは終わりではなく、もっと偉大な未来への出発なのです」。それが授賞理由であった。 1986年12月にはアジェスタランが急逝した。
※この「アンチョン・アジェスタラン指揮時代(1968-1986)」の解説は、「オルフェオン・ドノスティアラ」の解説の一部です。
「アンチョン・アジェスタラン指揮時代(1968-1986)」を含む「オルフェオン・ドノスティアラ」の記事については、「オルフェオン・ドノスティアラ」の概要を参照ください。
- アンチョン・アジェスタラン指揮時代のページへのリンク