アレクサンドリーヤ (ヨット・2代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アレクサンドリーヤ (ヨット・2代)の意味・解説 

アレクサンドリーヤ (ヨット・2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/12 21:39 UTC 版)

「アレクサンドリーヤ」
Александрі́я
艦歴
起工 1893年8月16日 バルト工場
進水 1894年8月29日
竣工 1896年
所属 ロシア帝国海軍バルト艦隊
解体 1927年4月24日
除籍 -
要目
艦種 通報船
艦級 「アレクサンドリーヤ」級
排水量 544 t
全長 68.8 m
全幅 14.9 m
喫水 1.9 m
機関 3倍膨張水平蒸気機関1 基
41推進
1075 馬力
速力 14.5 kn
乗員 士官 8 名
水兵 100 名
武装 63 mm単装 4 門

「アレクサンドリーヤ」ロシア語: «Александрі́я» アリクサンドリーヤ)は、ロシア帝国で建造された通報船(посыльное судно)である。主に帝室ヨット(императорская яхта)として用いられた。艦名は、1851年に建造された先代艦から受け継がれた。

概要

「アレクサンドリーヤ」は、1893年8月16日サンクトペテルブルクのバルト工場で起工された。1894年8月29日進水1896年に竣工した。1904年には、3本マスト・2本煙突外輪船に改修された。

1903年から1918年の間は近衛隊に属し、ロシア皇帝一家や国家首脳部がペテルブルクとペテルゴーフ間を移動するのに用いられた。また、同時にバルト艦隊の通報艦としての任務も担っていた。

第一次世界大戦にも参加したが、実戦に遭遇することはなかった。1917年に発生したロシア革命後は、ロシア臨時政府や労農赤色海軍によって運用された。1918年5月には、バルト艦隊の機雷分艦隊に転属し予備艦となった。1921年4月からは、ラドガ湖防衛隊長官の管理下に置かれた。その後、バルト海海軍長官の管理下に置かれた。

1922年5月27日には、港へ引き揚げられた。1924年9月23日クロンシュタット洪水が発生した際には、軍港の岸壁に打ち付けられ損傷を負った。最終的に艦は解体されることとなり、1927年4月24日には作業が開始され、5月には完了した。

関連項目

  • 初代帝室ヨット「アレクサンドリーヤ」

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アレクサンドリーヤ (ヨット・2代)」の関連用語

アレクサンドリーヤ (ヨット・2代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アレクサンドリーヤ (ヨット・2代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアレクサンドリーヤ (ヨット・2代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS